夜叉ヶ池の「自然保護」をめぐって
◆ はじめに
数十年も前から本会を支援していただいている井関 扶氏は、同人「変化題」を主宰して意欲的な山行を重ね、思索に富んだユニークな会誌『変化題』を毎月発行されています。
その154号と155号(2007年)に夜叉ヶ池をめぐる「自然保護策」について、お二人の文章が掲載されました。内容は登山者の感性から発するかなりラジカルなもので心打たれました。為にする自然保護批判と教条主義的自然保護論は聞き飽きていますので取り上げようとは思いません。ひとり夜叉ヶ池だけではなく、普遍的な問題提起であります。「自然保護活動」とやらに埋没していると狭視野、唯我独尊になりがちですが、経験ある登山者の純粋な感性に基づく率直な自然保護論とその批判には正直なところ圧倒されました。自然保護とやらに関わる者として何か書かねばならないと当時何度か試みましたが、遂に何も書けませんでした。くだらない教条主義的屁理屈など登山者の感性の前には何の説得力もないことを知っていただけに書けませんでした。それから暫く日が経ち、問題も発酵したと思います。
下記の文章で指摘されている木道もロープも大台ヶ原にあります。筆者は昔は反対でしたが、今は条件付にしても認めています。それが自然ななりゆきなのか、変節なのか、批判は甘受します。弊会で理詰めの論議をしたことはありませんが、私にはずっと登山者としてのうしろめたさが尾をひいています。因みに、守る会は「一枚岩」ではなく、いろんな考えの人達の集まりの「五目飯」のような会です。会員の中での考えの違いは、下記のお二人のよりも大きいのかもしれません。会の姿勢がヌエであることを私はしっかり自覚していますが一枚岩にしようとは思いません。
思えば昔、反公害運動の一翼として燃え上がった“自然保護運動”は原理主義的な考えで盛りあがりましたが、反公害運動の終焉と共に衰退しました。自然保護団体の全国組織であった全国自然保護連合は長い間HPを更新しないまま開店休業状態のようです。しかし、その間に、皮肉にも環境問題や自然保護の「お話」は、総論ではいまや常識化しましたが、市民参画や協働といわれるなかで各論の部分ではかえって迷走しています。
西大台の利用調整地区でも巡視員が巡り、トイレ、道標、登山道の整備などについてかまびすしい論議が続いています。そこで、自然保護に関心のある皆さんにぜひ考えていただきたいと思い、井関 扶氏のお許しを得て、お二人のご意見を転載させて戴きました。なお、筆者お二人にご迷惑がかかるといけませんので、お名前は井関氏のご承諾を得て割愛させて戴きます。
2008年03月31日 田村 義彦
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◆『変化題』154号【星冴】(JAN 2007)
夜叉ヶ池 コーヒーの後日談
「変化題・152・霧生峠」の、風のたよりで、「夜叉ヶ池でよばれた○○さんのコーヒー、絶品でしたな。」と書かれていて、入れた本人にとってこんな嬉しいことはありません。
私は、夜叉ヶ池には二回登ったことがあります。二回とも福井県側からです。
今回、久しぶりに行って驚いたのは、その整備のし過ぎでした。
池の回りに木道を設置し、池の回りにロープを張っていました。
奥美濃に詳しい、今回も参加の吉田寛治さんも、池の側でテントを張り、大きな焚火をしたと聞きました。
ところが、池で新種のヤシャガイケゲンゴロウが見つかったとかで、福井県も岐阜県も管理をするようになったようです。
長くなるので、自然保護論はやめますが、私は自然は木道をつくったり、ロープを張るのではなく、自然そのままの姿を保つのが、自然保護の精神だと思っています。三十年以上も、山に通いつめての経験からです。
さて、コーヒーの話に戻しましょう。私は三國岳山頂から一人先に出発しました。寒い日だったので、熱いコーヒーを入れておこうという心づもりでした。
池に着いて水をコッフェルの汲み、池のしげみの中で風をよけ、火を点けようとしたら、中年の男女がすたすたと寄ってきて、ここで火を使うことは禁止です。ただちに止めてください、と言われた。初め何のことか分からなく、ポカンとしていた。
再び言う。私は火を焚いているのではありません。ガスボンベです、と答えてもききめなし。使うなら、池から百メートル離れてください、と言われ、ほんとうは池の水も汲んでは違反なのです、とも。元に返せとまでは言わなかったので、重いコッフェルを持って百メートル移動した。
ところで、おたくら何者ですか、と最後に聞いてやった。今庄町の自然監視員だった。
というわけで、当日の参加者の皆さんは、夜叉ヶ池の水でコーヒーを飲んだ最後の人たちになる名誉を勝ちとったのです。
もう一つあります。今回の○○さんの報告文にもありますように、○○さんご提供のワインを、三國岳に登る前に池に沈めて冷やしておきました。じつはこのワインも、彼らが没収したのです。
言い訳になりますかね、池にビンを沈めて、池が汚れますか。池の周囲に木道をつけ、ロープを張って管理するのが自然保護なら、まっぴらごめんです。
くだんのゲンゴロウの姿はなく、赤腹(イモリ)が波打ちぎわで、たわむれていました。
こんな夜叉ヶ池に、もう二度と行く気になれません。
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◆『変化題』155号【山の歌】(FEB 2007)
夜叉ヶ池自然保護考
変化題一五三号、一五四号の夜叉ヶ池についての記事を読ませていただいたのですが、読み流すことができず、ペンを取りました。
私共夫婦は、昨年10月31日(火)池又谷から夜叉ヶ池経由で三周ヶ岳へ行ってきました。池又谷の駐車場とトイレが非常に整備されているのを見て「オッ!」と思わず声が出ました。そのニ年前に三国岳へ行ったときには、もっと質素でした。「ここまでしなくとも」というのが、素直な感想でした。そして、登山口に大きな立派な看板が立てられていました。詳しくは覚えていませんが、「自然を大切に」「大・小便禁止」「火気厳禁」など禁止事項が書かれていました。「大便はともかくも小便まで禁止しても、実効性ないなぁ」と思いました。駐車場のトイレがきれいになったのは、この山中での大小便禁止事項を有効にするため、利用しやすいように綺麗にしたのだと推察し、納得しました。
夜叉ヶ池に着いたら、ここも木道が延長され頑丈なものになっただけでなく、ロープまで張られ、またびっくり。監視員の腕章をつけた方が二人みえました。関西営林署の方でした。監視員配置の背景を伺ったら「夜叉ヶ池は、雨水だけのたまり池。流れ入る沢はない。流れ出るところもない。したがって、水の浄化能力は殆どなく、池の周辺の汚れは池に流れ、蓄積される。ここ十数年池の水質汚濁が著しく、池に棲む生物が減少しており、ここにしかいない「ヤシャゲンゴロウ」は絶滅の危機に瀕している。(新種の「ヤシャゲンゴロウ」が見つかったというのは、誤報と思います。)このまま放置すると、この池も死に池になる。環境庁からもしっかり保護するようにきつく叱られた。」火気厳禁については、山火事や樹木保護もさることながら、「お湯を沸かしてラーメンやコーヒーを作り、その残滓を周辺に放る人がいる。それが池の汚れの大きな要因」だそうです。「これ以上汚濁がひどくなると夜叉ヶ池には近寄れず、周辺から見るだけという措置をとらざるを得ない」と言っておられました。
<自然は木道を作ったり、ロープを張るのではなく、自然そのままの姿を保つのが自然保護の精神>と一五四号で述べられておりますが、木道やロープは「心ない登山者から池を守るために、やむを得ずせっちしたもの」で、設置しなければ、池の汚染は更に進むのではないかと思います。木道やロープを設置しているところは、どこも同じ事情ではないでしょうか。
<池にビンを沈めて、池が汚れますか?>と言っておられますが、絶対に池は汚れないという保証はありません。「池を汚さない」という観点からすれば、受け容れられないものと思います。池の汚染に神経を尖らせている監視員にとっては、自然以外の異物は排除すべきものであり、当然の処置と思います。
ビンを冷やすのであれば、流水でやればいいのであって、水質汚濁に神経を使っている溜池で、あえてすることはないと思います。
雨水が唯一の水源であれば、「池の水を汲んではダメ」というのも当然だと思います。経費削減に苦労している行政が、夜叉ヶ池に二人の監視員を常置したのは、異常なことだと思います。登山口の注意書きの看板には目もくれず、禁止事項に「自己流の判断」で反撥するのではなく、あれこれ禁止の背景を、監視員にお尋ねになればよかったと思います。
当日の監視員の報告書には「池の水を汲んで、コーヒーを沸かしていた輩がおり、注意したら反発した」「池にビンを沈めていた。」と書かれ、「登山口だけではなく、池の周辺にも禁止の看板を、目立つところに立てろ!」「池に近付かないよう、もっとロープを張れ!」という対策が採られないかと懸念します。
私共が三周ヶ岳から夜叉ヶ池に戻ったのは一五時近かったのですが、寒い中まだ監視員はみえました。ご苦労様!「心無い登山者がなくなり、監視員の配置をしなくても良いように早くなって欲しい」と心から願いました。<自然保護課と称する輩>とか<「おたく何者ですか」と聞いてやった。>なる表現からは、「監視員はうるさい存在でしかない。(たとえ自然が壊されても)自然を自分の思うとおりに楽しみたい。」と言っているように感じます。
自己流の<自然保護の精神>振り回し、自然を汚すのは止めて欲しい。登山口の注意書きは、ちゃんと目を通しましょう。
<こんな夜叉ヶ池に二度と行く気になれません。>とのことですが、地域の事情を無視し、「ビンを沈めたり、水を汲んだり、火を使うこと」を正当化するお気持ちであれば、二度と足を運んで欲しくないです。
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( 蛇足 田村 )
大台ヶ原では、以前は環境庁(省)の公園管理計画に基づいて携帯用コンロは使用禁止でしたが、折衝を重ねて、近年、やっと解禁になりました。しかし、環境省はそれを積極的に公告しませんので知らない登山者が多いですし、山上駐車場では「自炊禁止」の意味不明の大きな看板がいまだに立っています。この看板は、ドライブウエー開設後も、テント、食糧、コンロを担いで登ってきた登山者を山小屋に泊めるために奈良県が“キャンプ禁止”にした40年前の姑息な手段の残滓です。大台ヶ原で再びキャンプができるようにしたい、観光の山大台ヶ原を登山の山に復権したいと願って努力しています。
西大台の利用調整地区では「たき火・火入れは絶対にだめです。」となっていますが、携帯用LPガスコンロは使用できます。コンロの物理的弊害を説くのは易しいですが、豊かな自然のなかでコーヒー・紅茶の味と香りを喫することによる満足感は、山岳漂泊者にとって欠くことのできない悦びであると筆者は考えています。時には煙草もアルコールも必需品です。暴論でしょうか。このような問題を考える場合、技術論より先に、人は何故山に登るのか、という根源的な問題を問うべきだと筆者は考えています。更に言えば、筆者はあくまでも登山者の立場に固執して行政や企業による自然破壊に異議申し立てをしている偏狭な感性的自然保護論者ですので、科学的倫理的自然保護論には組しません。余計なことを言いました。無視してください。
【お詫び】
『変化題』154号に、「夜叉ヶ池 コーヒーの後日談」をお書きになった著者が、「154号の文は少々舌足らずの思いがあり、156号に書いた「再び夜叉ヶ池について」が自分の云いたかったことなので、HP掲載の時にご斟酌ください」とのご意向であることを、HP掲載後、井関 扶様からご教示いただきまして驚愕しました。
不注意にも私は156号のその文章を完全に忘れていました。著者と井関様にご迷惑をお掛けしたことを深くお詫びいたします。ボケ老人に免じてお許し下さい。遅まきながら、その「再び 夜叉ヶ池について」を掲載させていただきます。 田村
◆『変化題』156号【草萌】(MAR 2007)
再び 夜叉ヶ池について
山登りを始めて三十年になりますが、夜叉ヶ池でのことはそれまで経験しなかったことですので、多少茶化して書いたことを、反省しています。
また、私はどちらかと言うと、藪山志向ですので、管理された山にはあまり行ってなかったせいかも知れません。
自然保護は、難しいテーマです。インターネットの“Google”で検索してみますと、なんと、ニ百万件もの記事が収録されていました。私などが出る幕ではありません。
また、自然保護政策は、時代によって考え方は変わります。例えば、どこにでもあった、童謡に歌われた「小鮒釣りしかの川」という川が、洪水を防ぐのを目的に、コンクリートで三面囲いをされました。そのことによって、洪水は防げるようになったかも知れませんが、川で生きていた植物、水生の生き物たちが全滅しました。
その反省からか、除々にホタルや子魚の住める川を、取り戻そうという考えに、変ってきているようです。
私の勘違いを指摘されました。それは、「ヤシャゲンゴロウ」が最近発見されたのではなく、昭和三十八年に見つかったようです。私も書きましたように、夜叉ヶ池にはニ十年前に、ニ回行ったことがありますが、赤腹だけしか気がつきませんでした。
ところで、「夜叉ヶ池自然保護考」で、営林署の方の説明としてあげておられた文に、間違いと思われるところがあります。それは、山の池で雨水だけで成り立っているのを聞いたこともなかったので、調べてみました。
「夜叉ヶ池は、周辺から数ヶ所で湧き水が流入し、年間ほぼ同じ水量を保っている。」(「福井県のすぐれた自然」一九九九年)とありました。
じっさい私は季節を変えて、三回、池を見ていますが、水量は一定でした。雨水だけではないことがおわかりになられると思います。
ロープは、池の周囲ではなく、一部でしたね。砂地のある広場のところは、張ってありませんでした。完全に立ち入りを禁止するんだったら、不完全です。
あの屋久島の、縄文杉のように、五メートル四方を囲ってしまえば問題は起こりません。しかし、そうすると、福井県の地元の人たちが設置している祠への立ち入りも禁止となり、単純にはいかなくなるでしょう。
私は、その他大勢の自然破壊者にされたくありませんので、ひと言言い訳を・・・・。右記の文章の中に、「このヤシャゲンゴロウの生息する環境、すなわち夜叉ヶ池の保全が不可欠であり、自然のままの姿での保全が望まれる。」としながら、ロープや木道の設置は、なんと弁明するのでしょうか。
貴兄は「自然以外の異物は、排除すべきものであり、云々」とお書きですが、行政が設置したロープ、木道は夜叉ヶ池にとっては異物ではないでしょうか。
当日は、すたすたと二人の男女が近づいてきて水を汲み、池から少し離れたところでガスボンベに火を点けようとしたら、突然威圧的な態度に出た。身分も明かさなかった。というのが実情です。
最初に述べましたように、私は《自己流の自然保護精神を》振り廻した覚えはありません。山は国有林にしろ、個人所有にしろ、持ち主の好意で歩かせてもらっています。ゴミは出たら持ち帰る。動植物を傷つけない、というルールは守っています。
持参のガスボンベやガソリンの器具で湯を沸かし、コーヒーを淹れたりすることが禁止されたら、なんと山登りが味気なくなるでしょう。
夜叉ヶ池には、二度と登らないと書きましたのは、まったく私の個人的な好みからですので、誤解を招いたようです。
この文は、決して反論ではありません。(「夜叉ヶ池自然保護考」の著者)様には、私の至らないところをご指摘いただき、感謝しております。
反省の材料になりました。
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『変化題』 発行人:井関 扶 発行所:〒547−0022 大阪市平野区瓜破東1-6-5-402
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