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国交省と期を一にした環境省の逆風

―― 宮本博司氏「地域力と住民力で逆流を順流に」 ――

田村 義彦

 2008年11月2日〜3日に京都市で「川の全国シンポジュウム・・淀川からの発信」が開催され、前国交省近畿地方整備局河川部長で前淀川水系流域委員会委員長の宮本博司氏が「淀川水系流域委員会設置の経緯」と題して講演した。今まで話したことのないことを話す、と前置きした講演は、時間が短いために結論的な短い言葉で語られたが、その言葉には宮本氏の重くて深い想いがこめられていて、一言一言胸に響いた。不覚にも録音機を忘れたので正確を期し難いが、筆者の責任で講演の概容を記す。

 宮本氏は語った。『国交省は長良川河口堰問題によって「もう、もたない」と考え、1997年の河川法改正につながった。改正の意味は「国に任してください」から「国が勝手にしません」であった。』

 当時淀川河川事務所所長であった宮本氏は、「このままでは大変なことになる。住民の不信感を払拭したい。」と考えて、2000年に淀川水系流域委員会準備会議を立ち上げた。方針は、「情報公開・発信の徹底」「オ−プンな場の、準備会議委員による委員の選定」「事務局(庶務)の河川管理者からの独立」であった。「お墨付き委員会にしない。結論ありきではない。」という委員会の在り方に、準備委員から「お前、本気でやるのか」と言われたそうである。

 『霞ヶ関は「面白そうだ。任すからやれ。」と言った。』
 そして、2001年、淀川水系流域委員会がスタートした。「淀川方式」といわれ、琵琶湖・淀川の現状と問題を共有しようとした。(前にも書いたが、辻田啓司氏が主宰した琵琶湖の自然観察会で初めて宮本氏にお会いしたのはこの頃であった。)

 当初、流域委員会は近畿地建と二人三脚で、河川整備の方針転換を図った。

  • 「治水、利水、利用優先、環境配慮」から「環境、治水、治水、利用は一体」
  • 「ダムと川で洪水を押さえ込む防災」から「流域治水」と堤防強化による減災」
  • 「水資源開発」から「水需要管理」
  • 「川のグランド化、公園化」から「河川生態系と共生する利用」
  • 「ダムはできるだけ造らないほうがよい。どうしても必要なら徹底的な説明責任を」

『流域委員会の議論のなかで、委員が変り、国交省職員も変った。妥協点を見つけようとした。』

 しかし、『淀川に逆流が流れはじめた。』と宮本氏は言う。
 『当初「面白そうだ、任すからやれ」と言った霞ヶ関官僚が「流域委員会は、本気で住民の意見を聴こうとしている。けしからん。」と言うようになり、あげくの果てには「流域委員会をつぶせ」となった。  国交省官僚は「川のことは俺達が一番よく知っている。基本的なことは変えない。住民とはベクトルが180度違っている。もう、意見は聴かない。」と言いだした。』  2007年1月に流域委員会休止。第3期委員会が改組発足して、国交省を退官して家業についていた宮本氏は市民として委員に応募し、委員長に選出された。8月に国交省が「原案」を提示したが、『河川整備方向の先祖返り』で、「どうしても大戸川ダムを造る」と固執した。そして、2008年6月、「もう、流域委員会の意見は聞かない」と協議を一方的に打ち切り整備計画案を見切り発車した。

★ 『元に戻そうとする大きな力』とは何だ・・・
 『河川法改正は何だったのか』と、宮本氏は問う。『「これまでのやり方ではダメだから、行政のやり方を根本から変える。」のではなかったのか。何らかの手続きを作らないと持たないから「意見を聞く・反映させる」という仕組みを作ろうとしたが、霞ヶ関官僚は「もう意見は聞かない。結論ありきだから、議論しても意味がない。」と言ってきた。』  そして宮本氏は『何故、この変化が起きたのか。それは河川法改正それ自体がゴールだったのではないか』と言う。そして『元に戻そうとする何か大きな力が働いている。ものすごく大事な分岐点にさしかかっている。』と言う。そして、『もう国が勝手にしないで、地域力、住民力で逆流を順流に』と言う。

 そして宮本氏は講演の最後に、国交省が流域委員会の意見は聞かないと決めたあとで国交省近畿地方整備局の若い職員から届いた匿名のメールを読んだ。  長い文章で、全文をメモすることができなかったが、印象的であった言葉は「十字架を当分背負って生きます。大変申し訳ありませんでした。」であった。

 宮本氏にとって、いうなれば、かつての若い部下達に期待したい想いは理解できる。環境省でも、関西の事務所に居たおだやかな若者が東北に転任して、地元の山岳団体の愚かな開発要求に対して、「原生的自然を保護するのだ」と、毅然としてはねつけている凛々しい姿を報道で知って筆者は嬉しかった。その上司の所長は、2002年に大台ヶ原の歩道整備基本計画を策定するために、初めて住民が参加した公開現地説明会を開催して、「環境省は白紙です。自由に意見を出してください。」と述べた。見事なタッグが組まれているのであろう。期待したい。
 2001年以後の大台ヶ原の変革は、3代の所長と協力した所員の力で造り上げられたものだ。

 ところが数年前から、その先輩の成果を潰したい役人が目立つようになった。国会の局長答弁を真似て、市民を愚弄する発言をしたり、傲慢な態度をとる若い役人が目立つようになった。
 霞ヶ関の課長補佐クラスの横断的勉強会の報告も読んだ。「脱藩官僚の会」の勇ましい本も読んだ。しかし、どこにも、大峰・大台に見られる官僚の反動化の説明は見出せない。

 筆者は環境省官僚の逆行を「反動化・復権・逆風」などと表現して七つ程の駄文をこのHPに書いてきた。逆行を朝日の記者は「揺り戻し」と表現し、宮本氏は「先祖返り」・「逆流」と言う。宮本氏の講演を聞いて、霞ヶ関の反動化がひとり環境省だけではなく国交省と期を一にしていることを知った。恐らく他の省庁でも逆行が起きているのではないか。しかし、宮本氏も語らなかった「何か大きな力」が何であるかがわからない。

 宮本氏には支持する多くの地域住民がいるが、本会の周辺では、衆愚政治のなかで自己顕示欲のみを肥大させた自己中心的な人達しか目につかない。奈良には行政に媚びる住民はいても、異議を申し立てる市民はほとんどいない。本会は「住民力」のない状態で、徒手空拳で何ができるのか、頭を抱えてしまう。

 筆者は愚かにも自然保護に関わって40年近く、官僚に対する異議申し立てに終始してきた。奇しくも流域委員会発足と同じ年の2001年、環境省も突然、市民参画を言いだし、検討会委員を委嘱されたが、5年にして否定しはじめた。国交省の逆行と期を一にしている。国交省は曲りなりにも河川法を改正してその枠を規定したが、環境省は自然公園法を改正して市民参画、情報公開などを法的に担保していないので、官僚は何をしてもいいことになる。極論すれば順風も逆風もないのだ。

  因みに宮本博司氏は、今夏、流域委員会の委員長再任を自ら辞退された。理由は、「河川管理者から委員会の意見はもう結構ですと言われる「正常な状態」ではない状態になった結果責任をとる」というものであった。2000年に宮本氏の委嘱を受けて流域委員会の準備委員をした京大名誉教授が、「流域委員会が提出した意見書には7名の委員の個人的意見が添付されたが、そのうち6名は現役の京大教授で、国交省と同じ意見を書いている。意見書添付ではなく委員会で論議すべきであった。」と報告した。国交省は宮本氏の委員長辞任を歓迎するであろうが、市民としては宮本氏の指導力と委員会の姿勢の継続を期待したい。

2008年11月09日


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